祭祀の始祖は、筑紫の国造「田道の命」(考元天皇の五世の孫)で、筑紫物部を率いて神々 を祀ると云う。田道の命の橘孫「長田彦」が、神官となりました。 往古は「倉師大明神」と称えられ、年代は明らかではありませんが、六ヶ嶽の東嶺「天上嶽」に鎮座されていました。室町時代に入って足利義満は、高向兵部卿良舜を奉行とし 社殿を造営し奉りました。戦国時代には、龍ヶ嶽城主杉氏は、同社を粥田莊鎮守の宗社として崇敬し 社殿を「紫竹原」に遷座造営し熱田神宮より日本武尊を相殿に奉祀して「八劔大神」と称えました。江戸時代に入って、野火が入り社殿は焼失し、現在の「亀丘」に遷しました。藩主黒田長清が再造営しています。現在の社殿は、氏子中の奉讃により建立されたものです。
よい子が生まれますようにと岩田帯をしめるお祝いをします。
古くから懐妊五ヶ月目の戌の日に行います。
これは犬が安産であるので、それにあやかってのことといわれています。
新しい「いのち」の誕生の奉告と安産を祈願しましょう。
赤ちゃんが誕生しますと、七日目のお七夜に出生児の名前をつけます。
誕生への感謝と今後の健やかな成長を祈り
男子は 三十日目
女子は三十一日目
にお参りします。
赤ちゃんの成長や体調、また夏や冬の気候の厳しい時などは、日数にこだわることなく都合のよい時にお参りされるとよいでしょう。
生後百日目ごろにお喰い初めをします。赤ちゃんに初めてものをたべさせるまねをさせ、この子が一生幸福に育ち食べ物に困らぬようにと願いをこめます。
うまれて初めての節句を初節句といいます。
男子は五月五日の端午の節句で鯉のぼり等を飾りちまき・柏餅などを供えます。
女子は三月三日のひな祭りでひな人形を飾り雛あられ・菱餅などを供えます。
生まれて初めて迎える誕生日は一生食べ物に不自由しないようにと一升餅をつきます。その餅を赤ちゃんに踏ませたりふろしきに包んで背負わせたりして健康に育ちますようにと願いをこめお祝いをします。
また・ソロバン・筆・物さし・糸・はさみ・お金などを並べその中から取ったもので将来を占ったりもします。
※初節句、初誕生日はご家庭でお祝いください。
古く平安時代ごろから
三歳の男女は「髪置」
五歳の男子は「袴着」
七歳の女子は「紐落」
結婚は新しい人生の門出を祝う厳粛な儀式です。二人が結ばれたことに感謝し、これからの永い生涯を互いに手を取りあって苦楽を共にし幸福な家庭を築き、変わることなき愛情を神前に誓うと共に両家の弥栄と繁栄を祈ります。
毎年結婚記念日を祝うことも意義深く
七年目(銅婚式)
十年目(錫婚式)
十五年目(水晶婚式)
二十五年目(銀婚式)
五十年目(金婚式)
厄年には古来災難が多く慎む年であるとされています。災いを福に転ずるためにお祓いをうけ、災難を免れようとするものです。
は大厄といわれ、その前後を 前厄 後厄 といいます。
※数え年(年齢たす一歳)おなかに子を宿したときから生の誕生として数えました。
一家のものが長寿であることほどめでたいことはありません。
年齢によって次のような長寿の祝いがあります。
還暦 (満六十歳)生まれ年(えとは六十干支あり一巡り)再び還るの意味
古稀 (七十歳)古来稀なりという意味
喜寿 (七十七歳)喜のくずし字が七十七と読めることから
傘寿 (八十歳)傘の字の中に八十を含む
米寿 (八十八歳)米という字を分解すると八十八になる
卒寿 (九十歳)卒のくずし字は九と十
白寿 (九十九歳)百の字から一をとる
平素の御加護に感謝し、ますます壮健で長生きするよう祈願しましょう。
地鎮祭「ぢちんさい」や「とこしずめのまつり」と読み単に地祭「ぢまつり」ということもあります。
人の一生のうちでわが家を建設することはそうたびたびあることではありません。人生の一大事業ともなりましょうから、何の災いもなく無事完成し、建ってからも不慮の災難が起こらぬよう祈ります。
家を建てるにあたり、その土地の神さまをまつり、土地を祓い工事の無事安全を祈るまつりです。
上棟祭は「むねあげのまつり」「じょうとうさい」と読みます。
建物の棟上げをする時に、家屋の守護神や工匠の神様をまつり、末永く新築された建物に禍いがないように祈るまつりです。
上等祭には屋上に幣串や弓矢、五色(右から緑・黄・赤・白・紫)など飾ります。
◇家内安全◇身体健康◇無病息災◇病気平癒◇心願成就◇良縁結び
◇成人報告◇合格祈願◇入試合格◇学業成就◇必勝祈願◇旅行安全
◇商売繁盛◇会社繁栄◇社運隆昌◇工事安全
◇神棚祓い◇店舗開店◇火入式◇水神揚げ◇年祭◇神葬祭
※その他、諸祈願うけたまわります。
※お祓い、祈願料、などわからないことがありましたらお気軽にご相談ください。